意識から来る動きの質と変化。

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動きの質とその本質

以前にも似たような下半身についての記事を書きましたが、(こちらの記事)この下半身は鍛えれば鍛えるほど、ちゃんと答えを投げかけてくれます。

まぁ、それに気付く人がどれだけいるかは知りませんが、鍛えて、気付けば本質的な部分が見えてきます。すると、自然に取り組み方が変わり、巷で言うところのメンタルな部分も変化してきます。

一見同じ動きに見える動きでも、消耗のしかただったり、或いは成績が違っていたり。「何でここまで違うのか?」

こうなってしまうのは何故?と、思う人って沢山います。というかいるはずです。そうでしょ?

こういう時は私の場合、直ぐに「人体解剖図」をただじっと眺めます。(笑

ほんと何もしないで眺めています。解るときもあれば、解らないときもありますが、一年365日の内のどれくらいかはしりませんが、そのことに対しての考察を永遠やり続けています。もちろん、忘れているときもあります、でもまたフッと考えることができるようになりますから。

どんな偉人・凡人であってもたいして差はない。

物事の本質みたいなものって、わかってしまえばなんてことはない訳です。実際に何が本質かと聞かれれば返答に困ってしまいますが、ここで言うのは「人の動き」ですから、あまり突っ込まないでくださいね。(笑

さて、動作・動きというものはどこから起こるのか。皆さんは知っていますでしょうか?

人間はアンバランスだから動くことができる。見たいな事をもっともらしく記事にしていましたでしょ。(もっともらしい記事はここから覗いてください

そうです。見てくれた方ならお分かりでしょうが足の裏で、事の起こりがいち早く始まっています。でこれって特別な事ではなく、どんなスポーツで有名な選手でも、その辺にいるようなおじさんやおばさんであっても、皆同じ。

更に言えば、歩くと言う動作も実は皆さん同じです。

これが、何かを競うような者同士であれば、その違いは微々たる物なんです。この小さな違いが後に大きな差になるのですが、そのほとんどは申し訳ないが差はないに等しいのですよ。

じゃ、何が違えばここまでの差になるのか?ズバリ「気付くかどうか。」これだけなんです・・・。

そんな訳はない!!

はいはい。そう思う人は、そう思ってもらっても良いと思います。が、先にも書きましたが、気付けば取り組み方が変わるんです。そうして、必然的にメンタルも変わっていくわけです。「そんな訳はない。」と言う人。何が違うのかと、聞かれたらどう答えます?

練習量ですか?資質ですか?それとも根性でしょうか?

この言い方って、私が小さい頃から何も変わっていません。むしろ何も変わらず、変えずに言い続けている方が、どうかしているとは思いませんかね?

気づくということは、実はその時点でもうすでに変わっているんです。なぜなら、その気付きに基づいて動こうとするからですよ。

そして、この気付きが深くなればなるほど、「質」が変わっていくんです。

行き過ぎると変人扱いされるかもしれませんが、今、持っているものを最大限に生かすことができる方法があるとしたら、私はこの気付き意外に今は見当たりません。

才能なんてものは、私は否定的なほうでして、「才能がある人・ない人」で片付けてしまうと言うのは、指導する側の無能さをアピールしているに他ならないのですから。

それがどうして本質なのか。

世の中の出来事は、全てにおいて気付くかどうかで別けられているからです。気付かない人。気付く人。こんな感じでね。

損をする人=気付かない。得をする人=気付いている。

危険回避できる人=気付いている人。危険に遭遇する人=気付かない人。

金持ちになる人=気付いている人。貧乏な人=気付かない。

などなどありますが、この「気付く」「気付かない」で実は人生そのものも左右されている訳です。こうやって考えれば本質は、みな一緒でしょ?

後は、これに何が負荷として乗っかってくるのか?と言うことだけなんです。ですから「そんなはずはない!」と言う人は、「気付かない人」であり、マイナス方向に進む可能性が高くなる人でもあるんです。

話を戻しまして、こと肉体でもやはり同じ。気付けば、そうなろうと・そうしようと取り組みますから変わる訳です。

さらに、この気付きと言うのは、五感で感じ取っているもの。つまり自分と言う肉体と、自分と言う意識・意志がリンクした瞬間でもあるんです。

普段、意識できないものができるようになったわけですから、自分の肉体の極一部をまぎれもなく自分の物にした瞬間なんです。

こうやって、一つ一つ体を意識下においていくことでパフォーマンスは上がっていきます。その結果、一見おなじ動きに見える動作でも大きな違いがあり成果に差がでるということになるんです。

武道はこれを鍛える為にある。

ここらで私のホームグラウンドでの話をしたいなと思います。興味がなければスルーしてもらっても構いません。

武道と言うのは、元々は武道という呼び方では無かったのですが、あえて武道としますとね。
実は、この気付くことを主にしていたわけです。で、この延長線上に「戦わない」というのがあるわけです。

が、やっていることは勝つか負けるかという勝負ごと。

やるからには勝つ!負けると解っていても立ち向かう!これが武人であるわけなんです。勇ましい限りですよね。

本来、武と言うのはこの気付くことを学ぶ場であり、指導する場なんです。これを突き詰めていけば、よく耳にする「人間性を養う。」という話になる訳ですが、はたしてそうなっているのでしょうか??

気付きというのは、良いことも悪いことも全て。と言う意味であり都合の良いことだけを・・・というものではありません。

もし、都合の良いことだけならばそれは気付きではなく、「解釈」という安易なものに留まってしまいます。字の意味合いから「違うのではないか?」と思われるかもしれませんが、私はこんな風に理解しています。

でも、時には気付いていても、解っていても出来ない。してはいけない。

こんな場面も多々あることでしょうが、それもまた何かの気付きに他ならないわけですよ。例えば矛盾しているのでは??とか、こんなことはホント日常茶飯事なんですが、この矛盾をどうとらえるか?どう消化したらいいのか?

これもそのことに気付くというある意味。哲学??なのか・・・まぁ、哲学なんだと思います。

さぁ、気付きを得るために自分という肉体を動かしてみましょう!!

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