筋力トレーニング|筋肥大はパフォーマンスを下げる??

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パフォーマンスってなによ?

運動選手にとって、最高の常態で最大の力を出すことが最高のパフォーマンスであり、自分の立ち位置を誇示していくには、絶対的にこのパフォーマンス・運動能力は切っても切れないものです。

運動に関して言えばパフォーマンスと言うのは、運動神経が良いとか才能というとらえ方をする場合もありますし、何かに秀でている。そんな人達が結果を出す為に意識している事柄ではないでしょうかね。

もっとも、パフォーマンスと言うのはその総称みたいなものですから、各分野においてさまざまなパフォーマンスが存在している訳ですよ。

ここでは肉体に限っての話を進めてまいりますので、まぁどうでも良いと思う方はスルーしてもらっても構いません。

使う筋肉が違うから???

まずね、こんなの聞いたことはありませんか?「使う筋肉が違う

よく運動部なんかを見ている人なんかに多いような気がしますが、代表的な場面と言いますかこういった言葉が出るときと言うのは、「比べているとき」がほとんど。

私なんかは、これを聞くとね。いつも思うことがあるんです。

それって、どう言うこと?

たとえば、これがその競技の指導者だったら・・・・。はっきり言ってやめなさい。と、言いたくなるんですよ。(笑

使う筋肉が違う。ならば何故それを教えないのか?疑問です。私は、こう言い放つ指導者・人というのは、自分の技量で測れないようなときの言い訳に使っているのではないかと思ったりします。

使い方が違うと言うことは、その選手に間違った方法で教えてきたのですか?と、聞きたいです。少なからず、私はこんな恥ずかしいことは口が裂けてもいえません。

じゃぁ、見たとき率直に「使う筋肉が違う。」と、言葉がでる状況において、本当に違うのか?どうなのか?

使う筋肉は、どの選手であっても同じ。どの競技でも同じです。

例えば、格闘技をやっている人と、マラソンの選手を比較した場合でも手足を動かす以上は、使う筋肉は同じです。

これを今見ている人の中にも、そんな訳無いだろ。と、思っている人もいるでしょうが、残念ながら同じなんです。これがね、腕が4本あると言うなら話は違います。足が沢山ついているというなら、これもまた違う話になりますが、二手二足しかもっていない私たち人間は、どんな状況にあっても筋肉の使い方は同じで決まっている訳なんです。

いいですか、二手二足しかないのですよ。関節も皆が同じ方向にしか曲がらないんですよ。
運動は、手足を使うんです。どこに違う筋肉があると言うのですか??

筋肉の質の問題

先に書いた事柄を踏まえて考えてみますとね。使う筋肉ではなく、筋肉の質が違う。」
こうなります。

ある一つの競技で頂点を目指している選手の皆さんは、そこに向けて必死に練習に励みます。ましてやプロともなれば生活に直結してきますから手抜きは中々できるものではないでしょう。

でも、これだけ厳しいトレーニングを積んでも優劣の差はつきます。これも使う筋肉が違うんですか?そうですよね。同じですよ。

この優劣の差は、何故に生まれてくるのか?ここは、核心部分です。正直これだと言う決め手は無いのですが、沢山の要因がある中でこの「質」というものが大いに関係していると思います。

他にも要因はあるのですが、こと筋肉という観点だけで言えばこれです。

たとえば、長距離選手と投擲選手では筋肉の質と言うものはまったく違います。なぜ違うのかは、言わずとも分かりますよね。筋肉には、2種類の性質があって、瞬間的に力を発揮させる速筋。持久力を司る遅筋。この二通りが存在しています。

長距離選手はこの遅筋・投擲選手は速筋。質が違いますでしょ?

更に言えば、その競技でどれだけ成績を伸ばすかはこの筋肉の内にある神経や血流・栄養素などが絡んできますから、一概には言えません。ですが、ここだけとっても質がの違いが分かると思います。

筋肉が肥大すると能力が下がるというのは、確かにあると思いますよ。長距離選手が筋肥大したらそりゃパフォーマンスは確実に落ちます。長距離ランナーが必要とする筋肉は遅筋なのですからね。言い忘れましたが、遅筋は筋肥大はしないと言われていますのでね。

これに対して速筋は、バリバリに筋肥大します。ですがただ、でかくなればいいというものではありません。この筋肉に学習させなくては意味が無いんです。ですが、間違いなく瞬発力系の競技においては、確実に実力の差が出ることと思います。

ここで言う学習というのはね。筋トレなどで発達した筋肉にその動きでの神経回路を構築する作業の事です。

神経がどう伸びていくのかなんてことは知りませんが、武道的観点から見た場合、単発で鍛えた筋肉を技と言うもので連動させる作業とでも言っておきますかね。

こうやって考えてみるとね。改めて筋トレの重要性を感じますし、この学習と言うことの大切さを実感しますね。

ここのちょっとしたことが大きな差やパフォーマンスの違いになっていくのだと私は考えています。

筋肉は何のためにあるのか?

今でこそ、筋トレはメジャー?な存在になっていますが、その昔はホントに隠れてナルシスト達がやっているようなイメージしかありませんでした。まぁ、私もその中の一人だった訳です。

他人にどうこう言われる筋合いは無いのですが、「それをやってどうすんの?」「無駄な時間を過ごしてるんだな。」と、よく言われたものです。

私も何のためにやっているのか??を自問自答した時期がありました。皆さんは無いですか?

でも、今はやり続けて良かったと思っています。

さて、この筋肉と言うものはいったい何のためにあるのか?という、訳のわかんないことをね。考えたりしている訳ですよ。

筋肥大は運動能力を下げるからやらない方が良いと言う人は、後を絶ちません。

じゃ、見る角度を変えてみれば必要性に気付くのではないのか?こう思うわけですよ。

まぁ、ザックと言ってしまえば生命維持・生命活動に無くてはならないものなんです。当たり前の話でつまらないですが、こうなんですよね。

で、さらに目線を変えて武道的な観点でいえば、「危険回避のため」とも言えますね。
まぁ、身を守る為には必要だと言うことになるんでしょうか。

どうです?大切でしょ??ね。

では、なぜスポーツ選手に筋トレが必要なのかということについて考えてみたいと思います。

危機がもたらす成長

筋肉は生命維持・活動に無くていけないもの。と、書きました。実際は知りませんが、私の考えでは根幹はここにあるのだと思っているわけです。

そして危機回避という今となっては現実味の無い事柄もあるわけですよ。で、こういう生命維持とか、危険回避とかって本来は誰にでも備わっている「本能的な部分」なわけです。

理性が働く私たち人間は、こういった部分が非常に見えなくなっていると思うんです。この世に生命が誕生してから、幾度となく環境の変化があったでしょう。

種の存続をかけたサバイバル戦もあったことと思います。この生きる為の戦いを勝ち残ってきたから今の私達が存在できているわけで、その昔はいつも「死」が隣り合わせだったはず。

つまり何が言いたいのか?それは、危険や脅威に素早く対処できるよう筋肉がある。こう思うんです。でなければ、筋肉の発達や感覚器官の発達は無意味でしょ。

このことから推察するに、身体の機能の発達と言うのは、危機的状況を作り出すことが重要なのだと考えるわけです。

自分で危険なシチュエーションを作る

先に書いた危機的状況や死と言うものは、現代ではまずほとんど遭遇することがありません。平和って良いですよね。

じゃぁ、本当にこういったシチュエーションはまったく無いのか?いやいやそんな事はありません。いつでもどこにでもあります。

そのもっともポピュラーなものが、「緊張」です。

緊張すると言うのは、人によっては命に関わるような場合もあるんですよね。この場合考えられるのは病的要因ですが、ここではオーソドックスな緊張ですので。

例えばオリンピックとか大きな大会で緊張して、手が震えたり、逃げ出したくなってみたり。これも一種の危機です。その証拠に緊張すると心拍数が上がり、呼吸は浅くなり手に汗をかく。

そうです。この状況と言うのは、まさに本能的な反応でいつでも逃げる準備ができているということ。この状況の中で戦わなければいけないわけですから、そりゃ成長するでしょう。当たり前ですよね。実践が一番早く成長できると言うのはここから来ている話です。

じゃ、筋力トレーニングは?

別に緊張なんかしませんよね?でもこの行為もまた危機なんです。高重量を扱えば分かります。一瞬「ヤバイ!」と、思った事は無いでしょうか?
自宅で一人黙々とやっているときなんかはこの状況によくあいます。(笑

高重量になればなるほど、「圧死」の危険があるわけで、潰れる間際なんかはこの圧死の危険度はMAXです。

お分かりかと思います。筋トレは死や怪我という可能性を多分に含んでおり、危機を疑似体験できる簡単な方法の一つなんです。
こういう状況に置かれて、最大の力を出そうとします。身体はこれに即座に反応しようとします。「ヤバイ!次にまたこんなことがあったら大変だから、今使った筋肉を強化しなくちゃ!!」と言った具合に。

これが筋肥大であったり、神経系の発達に繋がるわけです。ただ、漫然と形だけを真似したところで、それは只の真似事なんです。

言い換えれば、常に筋トレの時はこういった危機的状況を作り出さなければ効果は半分以下だと私は考えています。
軽めでチャチャッとやって・・・これはまったく効果が無いとまでは言いませんが私的には、時間が勿体無いなと感じますね。

筋肉の発達なくして成長は無い。

筋トレに否定的な考えの人は、沢山います。スポーツをするうえで筋肉の発達は必須であり、そういった緊張から来る精神的な危機を克服する為に絶対に必要なものなのです。

どんな人間も緊張しない人はいません。あ、いるかもしれませんが私は見た事がないです。自分も含めて。

でもね、普段のトレーニングでこの極限を体験することで、それを乗り越えた達成感や成功体験が、この「緊張」の緩和に繋がる。こんな風に私は思うんです。

ですから、今は流行の「体幹トレーニング」とか、いったようなものには否定的なんです。
どんなに理屈をこねてみて、技や技術を追求してみたところで、圧倒的な力の前には太刀打ちできないんですよ。これはホント自然そのものなんです。

ここを無視していては、今後の発展や成長はまずありませんし有り得ません。

運動とは、理性よりも本能的な部分が見え隠れするもの、ならば動きの質を司るのは紛れも無く危機に対しての備えそのものだと思います。

目的に沿ったトレーニングをする。

とは、言ってみても実際筋トレ前と筋トレ後で、タイムや成績にマイナスに働く場合は多々あります。

それは何故なのか?と言いますと、新しく仲間入りした筋肉に教育しなきゃいけないからです。最近では反復運動は良くないと言われていますが、過去の偉人達は稽古や練習では、ひたすら反復運動をやっていました。

その練習のたまものが、人知を超えるような技の習得に繋がっていることを考えれば、本当に悪いことなのかと、疑問が湧きます。

マイナスに働く筋トレをしてしまっていると言うことは、目の付け所が違っていて、結局目的にそぐわない方法でメニューを組んでいるということなのではないでしょうか?

一様にコーチやトレーナーの方の失態が招いているのだと私は思います。

それに、これを教わる選手にも問題があると思います。「何故?」と、思いなさい。「どうして」と、考えなさい。

常にこれで良いのか?と思って取り組みなさい。ただ流れ作業のようにやっているのであれば問題です。

目的意識をもって、先を見据えて今をどう動くか。これが筋トレだけではなく競技人としてとても大切な事では無いでしょうか?

こういうことの積み重ねがしっかりできていれば、「筋肥大は運動能力の低下を招く。」なんて発言は無いはずなんです。一部の銭儲けの輩に引っかかるようなこともなくなるはずなんですがね。

とにもかくにも、肉体改造と言うのは他力本願ではダメだと私は声を大にして言いたい。
長くなってしまいましたが、くれぐれも筋肉を無視しての運動論はしてはいけませんし、身体を鍛えると言うことは、決して楽になんとかと、言う話ではないということをしっかりと覚えて日々の練習に取り組んでもらいたいものですね。

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